いつもそこにあるもの

好きな人たちを好きなように応援していたいと願うただのひねくれオタク。そんな私の主に現場の記録とか彼らに対する思いとか。良い感情も悪い感情も残します。

未来記の番人 観劇感想

戸塚祥太主演舞台「未来記の番人」大阪公演観劇しました。

 

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トリッパー遊園地以来の大阪松竹座

なんか色々思い出しましたねぇ。

あの伝統ある感じの和風の雰囲気、好きです。(外観は和洋折衷って感じだけど)

 

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さて、未来記の番人ですが、観劇の予定が1回だったので、私が不安だったのは、内容が理解出来るかどうかという点…。

時代物とのことだったので、歴史にも詳しくないし、登場人物とか、わけわからなくなったら困るなぁ…ということで、

私が毎回直面する「原作摂取していくかどうか問題」について、今回考えた結果、読んでから行くことにしました。

 

そして、見事にまた失敗しました。笑

いや、100%失敗だったかというとそうでもないんだけど。

 

原作を読む前、私は歴史物を読むんだと思ったので、そういうのちゃんと読んだこと無いし、苦手なんだよなぁ…と思いながら取り組んだわけですが、

意外や意外、読んだらめちゃくちゃ面白くて!

あぁそうか、いわゆる「歴史物」じゃなくて「時代小説」ってこういうことなんだ!って思いました。

すごいワクワクして一気に最後まで読みました。

 

で、観劇がより楽しみになったわけなんですけど。

今まで原作を先に摂取して失敗したなぁって思った時の理由って、「私の中で作り上げてしまった登場人物のキャラクターと舞台のキャラクターが違う」とか「違和感がある」ってのが多かったんだけど、今回はそういうことではなくてですね。

原作を読んで頭にしっかり入ってしまった設定と、舞台の設定がちょっと違ったので、混乱したんですよね。

冒頭からですよ。

小説でも桜は島原の乱で亡くなりますが、そこに千里丸や士郎左は居ないわけなんです。

千里丸の千里眼にしてもそうで、子どもの頃使えた異能で、それゆえに忍びの里にて育てられるが途中で使えなくなる、と言う点はもちろん一緒ですが、

小説では、千里丸が子どもの頃に病が流行り、自分は異能を守るために薬等を与えてもらえて助かったけど、全ての子どもを救うだけの薬が無く、一緒に忍びの里で育っていて病にかかってしまった他の子どもたちは助けてもらえず焼き殺されてしまい(しかも千里丸が病に臥せっている間にそれは行われ、千里丸は回復してから知る)、その後異能が使えなくなってしまった為に、千里丸は死んでいった仲間たちが自分の能力を奪ったんだと思って生きてきた、という設定だったので、

そこまでは時間も役者も限られた舞台で描けないから、仲間の子どもたちと桜1人を置き換えた設定になったんだろうと思ったし、

だから違和感とか、違うやん!!みたいな感情では無かったんだけど、なんせ整理するのに逆に時間がかかってしまって混乱してしまいました。

小説読んでなければ「あぁ、桜が死んでしまったことに思い悩み、それで異能が使えなくなってしまったんだなぁ」ってすんなり理解したかも知れなかったのに。笑

だって桜が死んだのも、小説では千里丸の異能を守る為ではないしねぇ。

で、結局いつから千里眼は使えなくていつから使えるようになったの??っていうのとか、一瞬よくわからなくて、ちょっと困りました。島原では使えてたから余計に混乱。

あと、巽の異能もね。小説では人を他の地に飛ばせるんだけど、舞台では動きを止められる?っていう能力のようだったので、それも一瞬わからなかったし、

太子様の魂魄が白鷹ではなく雷(いかずち)だったのも、太子様が降りて来たってことなんだって一瞬わからなかったし、

だから、それでダメだったとかちゃんと描いて欲しかったのに!ってほどのことでは無いんだけど、いちいち「小説ではこう描かれてたことがこの舞台ではこうなんだな」って整理するワンクッションが発生してしまったので、ちょっと読んで行って失敗だったかな…って思いました。笑

 

ただ、完全に失敗だったとも思ってなくて、登場人物の立ち位置とか関係性をすんなり把握出来たのも、耳慣れない言葉をすんなり理解出来たのも、読んで行ったお陰だったなぁとは思ってる。

「魂魄」とかさ。字面で見ればすぐ意味わかるけど、急に言われても、「こんぱく…ってなんだ…?」ってなって、下手したら最後までわからなかった可能性ある。笑

 

 

そんな感じでした。

原作ある作品のこの「摂取して行くか問題」、本当に毎回どうしたら良いのか正解がわからない。

演出や脚本等、その作品によって正解が違うからわかんないんだろうけど。観る人によっても違うだろうしね。

 

 

とっつーの千里丸は、私はとても好きでした。

小説の中の千里丸が私は実はあまり好きではなくて、人に言われるがまま、自分の意思無く生きてきたというのはそれはそれで良いんだけど(そこから成長する物語なのだから)、その割に(というか忍びの割に)、なんかずっとプンスコ怒って不満ぐちぐち言ってるタイプだし、敵と対峙して攻撃受けたらすぐに「油断していた」的なこと言うし(本当に何回もあって笑った。忍びのくせに油断し過ぎ笑)、なんか好きじゃないな~って思ってて、

雑誌のAERAにとっつーが載った時(私にとっては観劇前)に、本屋で手に取ったら見開き2ページだけだったし、写真も他でも見れそうなものだったから買うのやめようかと思ったんですが、インタビューの中でとっつーも千里丸あんまり好きじゃないって言ってて、士郎左の方が理解出来るって書いてあったので思わず共感して買ったんだけど、

なんか、だからかな、とっつーの演じる千里丸は小説ほど嫌いじゃなかったです。

キャラクターの性格だから、もちろん大きく変えてあるわけではないけど、とっつーが演じると、小説で読んだ時ほど嫌味が無かったように思うんですよね。

とっつーや演出の方が敢えてそうしたのか、とっつーから滲み出るものなのかはわかんないけど。笑

とっつーの千里丸はなんかちょっと可愛いなって思った。見た目のフォルムもあったし、ちょこちょこコメディシーンも挟まれてたからかも知れないけどね。

 

そんで、江戸っ子口調がどうしてとっつーはあんなに上手いの?笑

魚屋の八に会いたくなっちゃったな~。

でも、千里丸は、小説よりは性格が丸かったけど、八ほど飄々としているわけでもなくて、口調は近かったけど、ちゃんと全然違うキャラに見えてましたけどね。

 

私、A.B.C-Zのファンになって最初の頃は、とっつーは映像のお芝居は好きだけど、舞台は周りの評価高い割にはあんまり好きじゃないなぁって思ってたのに、外部の舞台観る度にどんどん、とっつーのお芝居素敵だなって思うようになっていってます。

やっぱり最初が恋ヴァだったのは良くなかったな…。笑

 

 

作品全体としては、今回の目玉として扱われていたダンスカンタービレが私はちょっと苦手でした…。

いや、っていうかどの部分のことを言っているのかにもよるけど、やっぱりあの急に世界観ぶった切る3曲はちょっと、理解し難かったかなぁ…。

2曲目の村下孝蔵さんの「初恋」しか曲自体は知らなかったけど。

え、え、え、急に何!?って思いました。笑

時代劇で踊っちゃいけないわけでは勿論無いし、心情をダンスで表現するというのはとても素敵だと思いましたが、歌詞も入って来ちゃうとそれはもう心情を表現しているのはダンスではなく言葉(歌詞)になっちゃうし、世界観に合わない曲調はどうしても違和感にしか感じられなかったな…。

それ以外の音楽は、カッコ良かったり切なかったり美しかったり、すごく素敵で好きだったんだけどな~。

 

あとまぁこれはやっぱり小説読んでから行ってしまった私のせいですが、小説の中の世界の厚みがあり過ぎて…って感じてしまったというのは否めないかな。

2時間の舞台に収めるために設定変更とか、登場人物やエピソードの省略があるのは当然のことで、その上で例えば、辻褄が合わないだとか、そういうことは今回全く無くて、綺麗に繋がったストーリーになっていたので、そういう意味では素晴らしいと思ったけど、

太子様の魂魄が白鷹に宿っていて、白鷹自身が意思を持って四天王寺や紅羽や千里丸を守ってくれるという設定はとても好きだったけど雷になってしまったことで紅羽が太子様を思う気持ちの表現は薄まってしまったと思うし、

久遠が出てこないのは結構大きかったし、薫(先代泉屋に南蛮絞りを教えた読心術の異能の持ち主。舞台では紅羽と巽の父の左門がその立場になってた)の存在とエピソードが出てこないのも残念だったなぁって思う。

左門が読心術の持ち主になることによって、予言が出来るという設定が無くなってしまったため、紅羽が父の予言として信じていた住友の未来って言う話も無くなってしまったし。

そして何より、結果的にただの千里丸と紅羽のラブストーリーみたいになって終わってしまったのがちょっと残念でした。

最後の旅立ち、小説では久遠も巽も一緒だったし、異能について、欲のためではなく真実を知るために知識を深めるという、具体的な目的があっての旅立ちだったけど、

舞台では自分の千里眼で世界を見て知って自分の生きる道を探したいという、いやそれでも十分立派だけど、なんかフワっとしたものになってしまったし、

結局千里丸と一緒にいたい紅羽が千里丸にくっついていく、みたいな描き方されちゃったのもな~。なんか軽くなっちゃったな。

まぁそもそも久遠が出てきてなくて、久遠の”亡くなってしまった異能者の恋人”の存在も無い時点で、久遠の故郷にある異能に関する書物をまずは見に行くという目的自体が描けないんだから仕方ないけど…。

でも巽も一緒に旅立って、みんなで異能者としての生き方を探していく結末でも良かったのにな、って思う。

小説の、士郎左の思いを受け取り誓う最後の最後のシーン、泣けたし好きだったけど、「行ってきまーっす!」みたいな軽いシーンになってしまって…ねぇ。

 

いやまぁ結局、原作が面白すぎたんですよね~。私も読む前はこんなにハマると思ってなかったし。

やっぱり、作品としてキッチリ成立していても(そこは何度も言うけど今回本当に素晴らしかったんです)、相違点が気になってしまうようなら原作摂取してから行くべきでは無いのかな…なんて思ったりしました。

元々出来るだけ先に摂取するのは避けたいっていう気持ちはあったけど、でもじゃあ今後は絶対観劇するまで読まないかって言われると、また今回みたいに、1回しか観劇出来ないけど内容難しそう…って思ったら悩むだろうし、場合によっては知ってから行って良かったってこともあるだろうし、多分永遠に答え出ないし毎回悩むでしょうね。笑

 

 

あとめちゃくちゃ余談なんですけど、私朝ドラ見てるんですけど基本的にいつも設定のモデルとか元ネタとか全然調べず見てるんですね。

で今回、未来記の番人の公演始まって最初に幕に出演者の名前が出るところで、「曽我廼家寛太郎」という名前が大きく出たのを見て、ん?って思って、朝ドラ「おちょやん」に出てくる「須賀廼家」の元ネタって「曽我廼家」やったんか!って思って、

あ、「鶴亀家庭劇」の「鶴亀」の元ネタって「松竹」か!!って思って(興奮して母に話したら今頃何言うてんのって言われた笑)、

終わってからパンフ読んで、その曽我廼家寛太郎さんと、大川良太郎さんがおちょやんの小山田さんと漆原さんってこと知って、えーもうちょっと舞台の時ちゃんと見とけば良かったーって思って、

今回声の出演のみになってしまわれた渋谷天外さんのお父様、ドラマで成田凌くんが演じてる天海一平のモデルなんや!ってなって、

あと、おちょやんのキャスト表見て、天晴さんってトリッパー遊園地のマツジさんやん!ってなって・・・なんか心が忙しかったです。笑

色々繋がって面白かったけど。

 

 

あともう蒸し返して書かなくても良いことなんだろうけど、別にこれは私のブログなんだから遠慮なく書くけど、今回の作品はキャスト陣の自覚の無さにガッカリでした。

プライベートで何をしようが勝手だけど、安くはないチケット代払って観に行く観客がいるのだから、世界観壊して観てる人の気持ちを邪魔したり演出変えさせたりするような行動は決して褒められたものじゃなかったし、

このご時世、エンターテインメントに関わるたくさんの人たちが、1歩間違えば中止等という恐怖もあり戦々恐々としてる中での、公演期間中の行動とは思えませんでした。

全てが真実じゃない可能性は勿論十分ありますが、1~10まで全くのデタラメ、ってことでも無いんだろうなって私は思ってるので…。

その話題に出て来たのが今回私が楽しみにしていたキャストさんばかりだったので悲しかったです。

何を偉そうにって思われるかも知れんけど、私だってお金払って行った1人だし、こんなことなら何も邪念の入らない東京観に行けば良かったな…なんて思わされたわけだし、言う権利はあると思ってる。

 

 

まぁそんなこんなな、いや、こんなご時世の中でしたが、無事完走出来て本当に良かったなって思います。

とっつーの次のお芝居も観るの楽しみになったな~!!(まだ何も発表されてるわけじゃないけど笑)

 

★私的観劇公演★

2021年4月9日 大阪松竹座