いつもそこにあるもの

好きな人たちを好きなように応援していたいと願うただのひねくれオタク。そんな私の主に現場の記録とか彼らに対する思いとか。良い感情も悪い感情も残します。

愚かな人間模様  -奇子観てきました

奇子 観劇致しました。

(タイトルこんなんですがあんまりストーリーの内容には深く触れてません。誰にも感情移入せず観たのでどの視点でストーリーに触れて良いかわからなかった)

 

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stage.parco.jp




五関様初単独主演おめでとーーー!と思いきや、ヤバいぞとんでもない作品っぽいぞ…と、決まった時は思ってました。

そして行きました東京初日。
私、BACKBEATの時の反省があったのと、1回目と2回目の観劇の間に日数があったので、原作未読で挑みました。(BACKBEATだって本当はそうしたかったけど観劇日程的に無理だったんだ…)

未読とは言え、あらすじは読んだしインタビュー記事も見てたし、割と覚悟して行ったつもりだったんですが、全然覚悟足りてなかったです…。
体内に、激重の金属のおもりのような、黒くてドロドロしたヘドロのような、そんなものを抱えた気分でした。
めちゃくちゃにしんどかった…。
ただそれはいい意味で、それだけあの空間に奇子の世界が作り上げられていた、ということなんです。
行って後悔したとかそういうんじゃ全然無いです。

ただもう、前日にSHOWBOYを2公演観て、当日昼間にジョイポリス堪能した私は、なかなかに感情の迷子になりました。笑
翌日も東京にいることになったので奇子の当日券チャレンジしようかと観劇前は思ってたけど、2日連続で摂取するのは私にはヘビー過ぎたのでやめて、大阪公演を待つことにしました。

そしてその間に原作も読みました。ちゃんと(?)新宿の紀伊国屋で買ったやつ。笑

私本読む時間がなかなか取れない生活してるので(蜜蜂と遠雷もコイベビも読了までに1ヶ月近くかかった)、上下巻、大阪公演までに読み切れるかな…って心配したけどよく考えたら漫画だったので全然早かった。二晩で読めました。

 

そして挑んだ大阪公演。大千穐楽です。

原作未読でも、意味がわからないってことは無かったけど、やっぱり読んだことで色んなストーリーが脳内で整理されて、わかりやすくなった。

観劇→原作→観劇の順番がやっぱり理想的だなー。毎回は無理だけど。

そしてブリーゼの客席は勾配があるから観やすい!

紀伊国屋ホールの時は、位置的にど真ん中で喜んでたんですが、前の人の頭が丸かぶりで、真ん中であるが故に逆に肝心なところが見えにくかったんですけど、

大阪は全くその心配もなく、そして再びど真ん中だった為めっちゃ観やすかった。

原作を読んだことと、ホールの座席のお陰で、物理的にも脳内的にも視界がクリアになりました。

 

しかしながら改めて考えても凄い作品だったよなぁ、と思う。

これにジャニーズが起用されたことも結構ビックリなことだと思うけど、

なんだろうな、私の主観で言えば、お芝居にあんまり癖が無く、普段から感情の起伏がそんなに激しくない五関様だったからこそ、スッとあの作品の空気に馴染んでいたように思いました。

完全に仁朗さんだった。あれは。

そんでもう、声が良いからさ、時々声を荒げるセリフには興奮致しました。すいません。

眼帯も大変似合っておられました。

あれはA.B.C-Zの中じゃ彼が一番適任だったろうなぁ。

ただストーリーが重すぎる為、体内に蓄積されるものが重くしんどくなってきたら双眼鏡を覗いて「五関様、美しいな…」(特に横顔)と、息抜き(というより息継ぎ笑)しながら観てました。

 

あの禍々しい窖のセット、照明も衣裳も赤で統一され進められていく重苦しい世界、もはや芸術的で文学的だったなぁと思う。

殺しのシーンも犯されるシーンも、精神的には重たいものが積み重なっていくんだけど、観ていられないことはなく、目を背けたくなるような感じではない。

これはもう、演出の妙かなぁと思ったし、中屋敷さんの原作に対する愛かなぁと思った。なんとも抽象的な感想だけど…。

そしてこの作品の独特な空気感を一番感じたのは開演前の客席だった。

初日の時はあまり何も思ってなかったけど、大千穐楽の日、開演を待ってる間、客席にはずっとセミの声が響いてるんですよね。

で、開演前のアナウンスが流れる。でも、それからまだ数分は始まるまでに時間がある。

多ステしている人も多いだろうから(なんたって最終日)、まだ始まらないことは分かってる人も多かったと思うのに、アナウンス後、まだ客電も落ちてないのに、とても静かに待ってるんです。みんな。

大抵、客電落ちる直前までザワザワしていると思うのに。

かくいう私も、まぁ私いつも単独行動なのでその時間にお喋りするってことはないけど、結構ギリギリまでパンフ読んでたりするのに、アナウンスを聞いて、まだ数分あるってわかってるのにパンフを片付けて静かに開演を待っていました。

あの静寂の中流れる小さな小さなセミの声は、なんだか怖かった。

あぁもう、会場が既に奇子の世界に飲み込まれているな、って思いました。

 

それと、原作を読んだ後だからわかる、構成力。

かなり長い年月を描いた作品なので、本来なら場面転換難しいと思うんだけど、原作ではラストとなる窖のシーンから始まり、そこで語られるこれまでの話。

セット転換も全く無いし、時代が行ったり来たりするしで、わかりにくくなりそうなのに、とてもわかりやすかった。(原作読む前でも)

原作を全て描くことは時間的に不可能なわけで、エピソードや登場人物の取捨選択もあったけど、全く違和感無かった。

少しでも違和感があると「原作では〇〇なのに!」って思っちゃうけど、この脚本は「原作では〇〇だったけど、なるほどそういう風に持っていくわけね」ってすんなり納得出来てしまうのは凄いなって思った。

 

この作品は基本的に演者か原作に興味が無いと楽しめないと思うので、周りの人にお勧めしたい作品!というわけではない。

舞台作品として落ち度があったとかそういうことじゃなくて、単純に題材、ストーリー的に、演者にも原作にも興味無い人が観ても辛い気持ちになるだけだと思うので…バッドエンドだし。

そして私自身も何度も何度も観たい作品!とまでは思えないので(だって観た後めちゃくちゃ疲れるんだもん)、五関様が大千穐楽の後の挨拶で「もし天外の運命に導かれることがあれば…」みたいなこと言った時、「再演あったら私またこの窖を覗きに来ることになるのか…それはしんどいな…」って率直に思ってしまったのだけど(でも怖いもの見たさ的なとこはある…笑)、

でも、この作品を演じる五関様に今回出会えて本当に良かったと思います。

というか五関様のお芝居めっちゃ良かったのよ。

私、個人舞台はこれまでリーディングコンサートしか観てないし、あとは舞台はえび座しか知らないから、

青島さんのこと思うとなぁ…って心配してたのに!ほんとあの心配してた気持ち返して欲しい!笑(青島さんはそれはそれでだいぶ好きですけど)

 

蒸し暑い夏にピッタリの不快な作品でした(最大限褒めてます)

 

しかしこの原作を子どもの頃に読んだ時から好きだったっていう中屋敷さん、同世代だけどすごいよな…。

私この年齢になって初めて作品を知って原作も読んだから、作品の主となる人間の内面の醜さ、おぞましさ、そして純粋さ、みたいなところに想いを馳せて触れられたけど、

子どもの時に読んでたら多分エロとグロのシーンのインパクト強すぎてトラウマになってる気がする…。

やっぱり物を創る人っていうのは子どものころから何か秘めたる感性みたいのがあるのかな。

 

 

★私的観劇公演★

2019年7月19日 紀伊国屋ホール(東京初日)

   8月4日 サンケイホールブリーゼ(大千穐楽)

 

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紀伊国屋ホール1F

 

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↑初日だったのでお花もいっぱい撮れました。

 

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なんか私五関様の個人仕事って言うとブリーゼに行ってる気がする…というか大阪ではブリーゼでしか観たことないわ。笑

 

奇子のフライヤー、タイミングが合わず、縁が無くて1枚も手に入れられないまま開幕してしまったので諦めていたのに、紀伊国屋ホールでは座席に1枚ずつ置いてあって、ブリーゼでもロビーに置いてあったのすごく嬉しかったです。

他の舞台作品でも、事前配布は多少出し惜しみしても良いから観劇行ったら手に入るようにしてくれたら嬉しいのになぁ。(まぁ宣伝するための素材なのだからチケット販売期間に出し惜しみしたらダメかも知れないけど…)

もしくはファミクラもチケットと一緒に送ってくれるとかね。どうしても地方民は地方民ってだけでフライヤー手に入れるの苦労するんだからさ。

まぁそれも外部作品は色々難しいんだろうけどね。理想です、理想。